原題はIn the Hands of the Prophets。
オブライエンの、有能な若いベイジョー人女性助手の存在が少々気にかかるケイコ。そんな彼女の授業を、ベイジョーの司教で、次期カイ(最高指導者)候補のひとり・ウィンが参観に訪れる。ワームホールについての授業で、ベイジョー人が与えた宗教的側面を教えるよう強制するウィンと、あくまで科学的な側面のみ教えようとするケイコは対立し・・。
で、出た~!DS9最凶悪女(←多分)ウィン!第1シーズンから出てたのねアンタ・・と、これから先を思うとゲンナリしないでもないですけど、強烈な悪役がいてこそ、話は面白くなる・・実際、彼女の仕組んだ悪巧みで、クライマックスはハラハラさせられました。
特に信仰を持たない、大多数の日本人にとっては、「宗教ヤダヤダ」の一言で済ませたくなりますが、そういう訳にもいかない・・。それを信じる人にとって、どれほどの支え、生き甲斐、人生の根幹を成すものなのか・・。ベンジャミンがジェイクを諭す、「(自分が)信じられないからといって間違っていると決め付けてはウィン司教と同じ」という言葉が重い・・。
ジェイクが、そして我々の大多数が信じてやまない「科学」だって、時には間違ったり、兵器に反映されたり。要は、宗教も科学も、人生の中(もしくは人類全体)で、どう付き合っていくかが肝心な訳で。
大事なのは、自分とは違う、宗教・生き方・文化・社会・・そういうものをもつ相手であろうとも、分かり合い、譲り合っていこうとする姿勢・努力を、諦めない・・決して放棄してはいけないということ。
だから、「神の存在を信じない、連邦の人間の精神は暗黒の中にある」と勝手に決め付けた・・自分(ベイジョー)と相手(連邦)を、断絶させようとしたウィンに、「あなたは大きな間違いを犯した」と指摘する、ベンジャミンの言葉がこれまた、重い!「時には対立することもある。実際何度もひどい喧嘩をした。だがそのぶつかり合いの中から、お互いに対する理解と信頼が生まれていったんだ」 あぁ本当、この回のベンジャミンはあやうく(←?)惚れてしまいそうなかっこよさ!
問題なのは宗教そのものではなく、宗教を信じるか信じないかだけの物差しで人を分ける考え方・・(キャンディ屋のオヤジのような) また、それを道具に、自身の立身を図るウィンのやり方。彼女がまだ、本気で宗教を信じてる・・信仰に身を捧げるタイプの人間ってんならまだしも(←そうだとしても、あのやり口は困りもんですけど)、あくまで立身のための「ポーズ」「ツール」として、信仰を利用してる・・ってのが余計に腹が立つ・・(怒)
カーデシア人に長く苦しめられ、「虐げられた」「弱々しげな」そんなイメージもある?ベイジョー人ですが、どうしてどうして、ウィンのように鉄面皮な逞しさをもつ者もいたり、またそのライバルのカイ有力候補・バライル司教も、(ウィンよりはだいぶマシそうとはいえ)今このタイミングでベンジャミンの味方は出来ない・・という冷徹な政治判断を下したりする・・(←それが出来るからこそ、カイ候補にまで上り詰めた・・とも言えるんでしょうけど)
当たり前ですが、いいカーデシア人もいれば、悪いベイジョー人もいる・・人種や国家で単純に良い悪いを分けることなんて出来ない・・。人はひとりひとり、違うんだよなぁ・・と。
最悪の形で脅迫を受けても(←犯人側からすれば、大きな目的達成のための「準備」のひとつに過ぎなかった・・ケイコのことはどうでも良かった訳ですが・・)、それに屈しなかったケイコは強い!
オブライエンを上官にもって、連邦にも良い人はいる・・と分かり始めていたニーラが、それでも人を殺して、わが身を破滅させた・・ってのが苦い・・。辛いカーデシア占領時代を生き延びる支えであったであろう、信仰の重み・・それに逆らえなかった・・ということなのかもしれませんが、信仰と、ウィン(という誤まった考えの人間)個人に対する崇拝・盲従を、自分の中で混同させてしまったことこそが、彼女の「罪」・・「痛恨の過ち」と言えるような。
オブライエンの、有能な若いベイジョー人女性助手の存在が少々気にかかるケイコ。そんな彼女の授業を、ベイジョーの司教で、次期カイ(最高指導者)候補のひとり・ウィンが参観に訪れる。ワームホールについての授業で、ベイジョー人が与えた宗教的側面を教えるよう強制するウィンと、あくまで科学的な側面のみ教えようとするケイコは対立し・・。
で、出た~!DS9最凶悪女(←多分)ウィン!第1シーズンから出てたのねアンタ・・と、これから先を思うとゲンナリしないでもないですけど、強烈な悪役がいてこそ、話は面白くなる・・実際、彼女の仕組んだ悪巧みで、クライマックスはハラハラさせられました。
特に信仰を持たない、大多数の日本人にとっては、「宗教ヤダヤダ」の一言で済ませたくなりますが、そういう訳にもいかない・・。それを信じる人にとって、どれほどの支え、生き甲斐、人生の根幹を成すものなのか・・。ベンジャミンがジェイクを諭す、「(自分が)信じられないからといって間違っていると決め付けてはウィン司教と同じ」という言葉が重い・・。
ジェイクが、そして我々の大多数が信じてやまない「科学」だって、時には間違ったり、兵器に反映されたり。要は、宗教も科学も、人生の中(もしくは人類全体)で、どう付き合っていくかが肝心な訳で。
大事なのは、自分とは違う、宗教・生き方・文化・社会・・そういうものをもつ相手であろうとも、分かり合い、譲り合っていこうとする姿勢・努力を、諦めない・・決して放棄してはいけないということ。
だから、「神の存在を信じない、連邦の人間の精神は暗黒の中にある」と勝手に決め付けた・・自分(ベイジョー)と相手(連邦)を、断絶させようとしたウィンに、「あなたは大きな間違いを犯した」と指摘する、ベンジャミンの言葉がこれまた、重い!「時には対立することもある。実際何度もひどい喧嘩をした。だがそのぶつかり合いの中から、お互いに対する理解と信頼が生まれていったんだ」 あぁ本当、この回のベンジャミンはあやうく(←?)惚れてしまいそうなかっこよさ!
問題なのは宗教そのものではなく、宗教を信じるか信じないかだけの物差しで人を分ける考え方・・(キャンディ屋のオヤジのような) また、それを道具に、自身の立身を図るウィンのやり方。彼女がまだ、本気で宗教を信じてる・・信仰に身を捧げるタイプの人間ってんならまだしも(←そうだとしても、あのやり口は困りもんですけど)、あくまで立身のための「ポーズ」「ツール」として、信仰を利用してる・・ってのが余計に腹が立つ・・(怒)
カーデシア人に長く苦しめられ、「虐げられた」「弱々しげな」そんなイメージもある?ベイジョー人ですが、どうしてどうして、ウィンのように鉄面皮な逞しさをもつ者もいたり、またそのライバルのカイ有力候補・バライル司教も、(ウィンよりはだいぶマシそうとはいえ)今このタイミングでベンジャミンの味方は出来ない・・という冷徹な政治判断を下したりする・・(←それが出来るからこそ、カイ候補にまで上り詰めた・・とも言えるんでしょうけど)
当たり前ですが、いいカーデシア人もいれば、悪いベイジョー人もいる・・人種や国家で単純に良い悪いを分けることなんて出来ない・・。人はひとりひとり、違うんだよなぁ・・と。
最悪の形で脅迫を受けても(←犯人側からすれば、大きな目的達成のための「準備」のひとつに過ぎなかった・・ケイコのことはどうでも良かった訳ですが・・)、それに屈しなかったケイコは強い!
オブライエンを上官にもって、連邦にも良い人はいる・・と分かり始めていたニーラが、それでも人を殺して、わが身を破滅させた・・ってのが苦い・・。辛いカーデシア占領時代を生き延びる支えであったであろう、信仰の重み・・それに逆らえなかった・・ということなのかもしれませんが、信仰と、ウィン(という誤まった考えの人間)個人に対する崇拝・盲従を、自分の中で混同させてしまったことこそが、彼女の「罪」・・「痛恨の過ち」と言えるような。
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●2001年7月から某所で書いていた感想日記の移植版です。
●基本的にテレビ本編&映画の感想はネタバレ有、小説の感想はネタバレがある場合「続きを読む」で・・というスタンスです。
●ブログ内の画像の無断転載・二次使用はお控え願います。
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