原題は「Destiny」
カーデシアと協力して、ガンマ宇宙域に亜空間通信中継機を設置することになったDS9では、カーデシアの女性科学者の受け入れ準備をしていた。
中継機の設置に成功すれば、ワームホールを通しての交信が可能になり、ドミニオンの襲来に対してもいち早く警報が出せるのだが、シスコに面会を求めてきたベイジョーのヴェデク・ヤルカは「預言者からの警告で、カーデシア人を受け入れないよう。受け入れれば全てが破壊される」と言うのであった・・。
シスコ=「選ばれし者」が、自分の判断を信じて動いた結果が、預言に沿っていた・・つまり、全てはDestiny・・「運命」だと、預言者=神の御心のうちだと?
でも、預言者が時の流れの外にいて、過去も未来も知っているのなら、預言が当たってても当たり前のような・・(むしろ、解釈の幅を与えてしまう、あいまいな表現すんなよ!とツッコミたい) その、「知っている」こと・・知り得る「レベル」にいることこそが偉大だと言うんでしょうけど・・。
何もかもが、さだめで決まってしまっているとしたら、考えて、迷って、あがいて・・そういう、人生の判断の全てに意味が無くなってしまう・・あまり、「運命」だなんて言葉、使って欲しくないですし、使いたくもないんですが・・。
勿論、全ては神の御心・・という解釈のもと、心の平安を得たり助け合ったり、そういう、信仰の・・利点というか美点は、素晴らしいとは思うんですが。
しかし、今回のヤルカのように、(カーデシア人への偏見ゆえに)解釈を誤まる場合もある・・解釈なんて人の数だけ・・いや、一人の人でも複数の解釈をする場合もあるでしょう。その、解釈の仕方こそが、その人の信仰そのもの・・というか。
いわば、宗教・信仰=(伝説・預言・聖書等々に対する)その人なりの「解釈」な訳で、だから、元はひとつの宗教でも、細かく何派とか分かれていってる・・。
そう考えると、何をもってして、ひとつの信仰(解釈)を正しいと判断するのか・・結局、その信仰(解釈)を正しいと出来るのは、その人自身しかない・・ということになってきますし。
つまりは、ヤルカのように自身の信仰(解釈)を、他者(シスコやキラ)に押し付けるのは間違い・・という話と受け取ればいいのか・・。
キラも、預言のヤルカ的解釈を信じるようになりつつも、ディファイアントでは、ブリッジの士官として守るべき、最低限ギリギリのラインは守って、結果、あの解釈をカーデシア人科学者達に押し付けることはしませんでしたし。
シスコやキラのように、自分自身が考えて、信じた信仰・解釈のもとの行動ならば、結果「運命」で片付けられたとしても、それは紛れも無くその人自身の意思が選び取った・・自力で切り開いた「運命」な訳ですし。
「運命」を手なずける・・とでも言えばいいのか、とにかくそういうニュアンスの原題なのかも。少なくとも、「全て決まってしまってるんだから、どうあがいても仕方が無い」「流れに身を任すしかない」というふうな意味合いには、とりたくない・・というか。
まぁ、預言云々はともかく。
オブライエンがよその女の人にこんなにモテる話は初めてなんじゃないでしょうか?(笑) しかも相手が、彼が戦闘で戦い、敬愛する上官の運命を狂わせたことから、長いこと苦手意識を持ってたカーデシア人。人生、生きてみないと分からない・・というか。
ジャッジアがディファイアントの指揮席に座るのは初めて?結構似合いますな(美人だから何してもサマになる)
オドーが、人間観察の手腕を発揮して、シスコに、自身の「拘り」に気付かせるシーンが、ささやかですがちょっと好きかも。基本的には上官⇔部下の関係ですけど、オドーは、独特なポジションの人間として、他の人は絶対、「司令官」に対して、気付けないような&言えないようなことを言ってあげられる・・ってのがいいよね・・と。
カーデシアと協力して、ガンマ宇宙域に亜空間通信中継機を設置することになったDS9では、カーデシアの女性科学者の受け入れ準備をしていた。
中継機の設置に成功すれば、ワームホールを通しての交信が可能になり、ドミニオンの襲来に対してもいち早く警報が出せるのだが、シスコに面会を求めてきたベイジョーのヴェデク・ヤルカは「預言者からの警告で、カーデシア人を受け入れないよう。受け入れれば全てが破壊される」と言うのであった・・。
シスコ=「選ばれし者」が、自分の判断を信じて動いた結果が、預言に沿っていた・・つまり、全てはDestiny・・「運命」だと、預言者=神の御心のうちだと?
でも、預言者が時の流れの外にいて、過去も未来も知っているのなら、預言が当たってても当たり前のような・・(むしろ、解釈の幅を与えてしまう、あいまいな表現すんなよ!とツッコミたい) その、「知っている」こと・・知り得る「レベル」にいることこそが偉大だと言うんでしょうけど・・。
何もかもが、さだめで決まってしまっているとしたら、考えて、迷って、あがいて・・そういう、人生の判断の全てに意味が無くなってしまう・・あまり、「運命」だなんて言葉、使って欲しくないですし、使いたくもないんですが・・。
勿論、全ては神の御心・・という解釈のもと、心の平安を得たり助け合ったり、そういう、信仰の・・利点というか美点は、素晴らしいとは思うんですが。
しかし、今回のヤルカのように、(カーデシア人への偏見ゆえに)解釈を誤まる場合もある・・解釈なんて人の数だけ・・いや、一人の人でも複数の解釈をする場合もあるでしょう。その、解釈の仕方こそが、その人の信仰そのもの・・というか。
いわば、宗教・信仰=(伝説・預言・聖書等々に対する)その人なりの「解釈」な訳で、だから、元はひとつの宗教でも、細かく何派とか分かれていってる・・。
そう考えると、何をもってして、ひとつの信仰(解釈)を正しいと判断するのか・・結局、その信仰(解釈)を正しいと出来るのは、その人自身しかない・・ということになってきますし。
つまりは、ヤルカのように自身の信仰(解釈)を、他者(シスコやキラ)に押し付けるのは間違い・・という話と受け取ればいいのか・・。
キラも、預言のヤルカ的解釈を信じるようになりつつも、ディファイアントでは、ブリッジの士官として守るべき、最低限ギリギリのラインは守って、結果、あの解釈をカーデシア人科学者達に押し付けることはしませんでしたし。
シスコやキラのように、自分自身が考えて、信じた信仰・解釈のもとの行動ならば、結果「運命」で片付けられたとしても、それは紛れも無くその人自身の意思が選び取った・・自力で切り開いた「運命」な訳ですし。
「運命」を手なずける・・とでも言えばいいのか、とにかくそういうニュアンスの原題なのかも。少なくとも、「全て決まってしまってるんだから、どうあがいても仕方が無い」「流れに身を任すしかない」というふうな意味合いには、とりたくない・・というか。
まぁ、預言云々はともかく。
オブライエンがよその女の人にこんなにモテる話は初めてなんじゃないでしょうか?(笑) しかも相手が、彼が戦闘で戦い、敬愛する上官の運命を狂わせたことから、長いこと苦手意識を持ってたカーデシア人。人生、生きてみないと分からない・・というか。
ジャッジアがディファイアントの指揮席に座るのは初めて?結構似合いますな(美人だから何してもサマになる)
オドーが、人間観察の手腕を発揮して、シスコに、自身の「拘り」に気付かせるシーンが、ささやかですがちょっと好きかも。基本的には上官⇔部下の関係ですけど、オドーは、独特なポジションの人間として、他の人は絶対、「司令官」に対して、気付けないような&言えないようなことを言ってあげられる・・ってのがいいよね・・と。
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●2001年7月から某所で書いていた感想日記の移植版です。
●基本的にテレビ本編&映画の感想はネタバレ有、小説の感想はネタバレがある場合「続きを読む」で・・というスタンスです。
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