19世紀当時の格好のデータ・・。似合ってて、かっこよかったです。ボーイの子も可愛かったし(制服と、あの、ぺったぺたな髪型が・・)。それにしても、こんな形で半年(でしたっけ?)待たされるなんて、放映当時の現地の視聴者って・・。リアルタイムかつ、ネイティブな言語で鑑賞できるにこしたことはないでしょうけど、それでも、1週間待てば続きがみられる点においては、異国の再放送視聴者の方が恵まれている・・と思う・・「思いたい」のは負け惜しみ・・?いや、べつに勝ち負けの問題じゃないですけど・・。多少、出会う時間にずれがあっただけで、同じ作品(もの)を好きな者同士な訳ですから。
作戦会議の時に、ライカーに不吉なことをいうウォーフ・・。あんたら、ほんまは仲悪いんちゃうか(笑)?結構、ライカー、ウォーフのことからかったりしますもんねぇ。真面目なクリンゴン人は、からかい甲斐がある対象・・?←仲がよいからこそだってわかってますけど・・。でももし、私がTNGでギャグネタをかくとしたら、腹黒な(笑)ライカーが、冗談のふりをしてウォーフをいじめる・・とかいうのをかきそうな気が・・。
お約束とはいえ、どんな危険が伴うかわからない上陸任務に、艦の主要人物達ががん首揃えて参加する様子は・・・・。それを言っちゃあ、話が始まりませんけどね。
死について、ジョーディーと話すデータ。死ですらも、自分の望み・・「人間に近付く」にかなうものとして、むしろ嬉々として受け入れる・・。彼らしいというか、何というか。しかし、友達が死んでいなくなって寂しくなれば、「また新しい友達をつくれればいい」という答えは、当の友達本人であるところのジョーディーには、悲しい台詞・・。ジョーディーが感じたであろう悲しさそのものを、データが理解するのは(感情のチップを取り付けるまでは)無理でしょうが、少なくとも、その答えは友達を悲しませるという事実は、聡明な彼なら早々に気付いて、もう少し言葉を択ぶようになるんではないかと思うんですが・・。
いつまで稼動できるのか、本人も知らないデータは、周りの人にとって、生き死にという点において絶対的・ゆらぎようがない安定した存在だったはずが、その根拠が揺るぎはじめて、みんなに動揺が広がる・・。でも本当、特別なことがなくても、艦そのものが爆発するような事態になれば、彼だって無事ではすまないでしょうし。「『去るのは私達が先』というのは幻想で、本当は、データの方が先に、私達の前から消えてしまうかもしれない・・」ということに気付いた訳ですね。人と人との関わりに、絶対不滅・不変なんてものはなくて・・・・だからこそ、その瞬間瞬間が、愛しく、大切なものだということなんですよね・・。流れていく日常は、「日常」であると同時に、貴重な「瞬間」でもあるという事実。「一期一会」というか・・。本当、毎日毎日、忙しくて意識できずにいますけどね。
次週、ガイナンと艦長が19世紀で「出会う」訳ですね。で、24世紀で再会する・・「懐かしい未来」とは、まさにこのことか・・?
PR